津島のお地蔵さま

津島の地蔵さま

観音寺のお地蔵さま(天王通)観音寺のお地蔵さま(天王通)毎月24日に行われる地蔵菩薩(お地蔵さま)の縁日を御存知ですか? なかでも祖霊が帰ってくる盆の期間(旧暦7月24日)に行う祭を地蔵盆といいます。現在の地蔵盆は、新暦8月24日に開催されています。
 地蔵盆は、道祖神信仰と結びついて、路傍、あるいは街角(辻)にある地蔵菩薩が対象となっています。
 津島市内には、いろいろな地蔵菩薩、お地蔵さまがみえますので、市内散策で、街角の路傍に立つお地蔵さまの微笑みに癒されて下さい。

地蔵菩薩とは

西光寺の水落地蔵(米之座町)西光寺の水落地蔵(米之座町)サンスクリット語の「クシティ・ガルバ」で、「クシティ(大地)」と「ガルバ(胎内・子宮)」の意味で、意訳して「地蔵」と言います。大地がすべての命を育む力があるように、苦悩する人々を無限の慈悲の心で包み込み救うところから名付けられたようです。
地蔵菩薩に関わるお経に、地蔵菩薩が、最も立場の弱い人を救う仏として説かれており、多様な御利益があるとされ信仰を集めています。特に中世以降は、子供の守り神として信仰されるようになりました。

津島の地蔵菩薩

宝泉寺境内にある瘧地蔵と六地蔵宝泉寺境内にある瘧地蔵と六地蔵津島市内の寺院にある代表的な地蔵菩薩として、米町の西光寺には鎌倉時代の地蔵菩薩立像(水落地蔵)があり、県の文化財に指定されています。また、良王町の不動院には室町時代の地蔵菩薩坐像があり、市の文化財に指定されています。

また、池麩町の宝泉寺境内には六地蔵と、瘧(熱病)治癒にご利益があるとされる瘧地蔵があります。


<拝観される場合は、それぞれの寺院や町内会に、失礼がないよう事前に問い合わせてお出かけ下さい。>

津島の地蔵堂

円空作 千体地蔵円空作 千体地蔵津島市内には、たくさんの地蔵堂がありますが、代表例として、天王通に円空作・千体地蔵堂があります。21cmの地蔵坐像の周りに5cmの小仏が千体並べられた見事な作像で、市の文化財に指定されています。円空は、江戸時代の僧で生涯に十万体の仏像を彫ったとされ、5千体が日本全国に残されています。
また、上河原町、禰宜町などには、大きな地蔵堂があり、地元の人に大切に信仰されています。上河原町の地蔵堂は眼病治癒・母乳授かり・安産祈願に御利益があるそうです。それぞれ、地蔵盆の日に祭られていますので、地元の人と一緒にお参り下さい。


六地蔵とは

船戸町にある六地蔵船戸町にある六地蔵「お釈迦さまが入滅した後、すべての生命は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天、という六つの世界を輪廻している、そして、それぞれの世界を守る6人の地蔵菩薩が救ってくれる」という仏教の教えから、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵が各地にあります。
やがて、六地蔵は道祖神信仰と結びつき、墓地や町外れ・辻は、他界との境と考えられるようになり、町の境などに町の守護神として祀られました。舟戸町にある瑞泉寺横の六地蔵が有名です。

十王とは

十王堂内のお地蔵さま(今市場町)十王堂内のお地蔵さま(今市場町)十王とは、死者の生前の罪を審判する、秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・泰山王・平等王・都市王・五道王という十人の王をいい、人間は、初7日から順次裁きを受け、地獄や天国(浄土)に送られると信じられてきました。
ただ、すべての人間がすべての裁きを受けるわけではなく、普通は、5人めの閻魔王が35日めに最終審判(引導)します。このため、閻魔王が一番知られています。

十王堂とは

今市場の十王堂今市場の十王堂生前に十王に祈れば、死後罪を軽減してもらえるという信仰から、各地に十王堂が祀られました。
十王信仰は、仏教が中国に入って、道教と習合して成立し、平安時代に日本に伝来しました。習合した時、地蔵菩薩が閻魔王の本地仏とされたため、閻魔王として地蔵菩薩が信仰されるようになりました。
江戸時代の延享年間(1700年頃)に描かれた、津島の古地図には、5箇所の十王堂が描かれています。その内、東口(今市場町)、南口(南本町)にある十王堂は、現在もそのまま残っています。一方、北口、西口にあった十王堂は、津島市内の寺院に祀られています。