津島神社から14カ寺を巡って再び津島神社に戻ってくるコースです。
津島神社→宝寿院→雲居寺→弘法寺→龍渕寺→吉祥寺→興禅寺→観音寺→蓮台寺→瑞泉寺→妙延寺→宝泉寺→常楽寺→西方寺→津島神社
津島神社
宝寿院
ご本尊は薬師如来。子安地蔵、泉大竜神、弘法大師を奉安しております。真言宗智山派に属し、弘法大師より受け継がれてきた密教を伝えるご祈願のお寺です。
津島神社東門を出て、東へ350m進み、伊藤金物店のある交差点を左折します。
そこから津島上街道沿いに観光交流センター、市神社を通り過ぎて、
市神社をさらに北へ向かい、交差点を渡って80mほど進み丁字路を右折すると、左手に見えてくるのが雲居寺さんです。
雲居寺
正式には「龍宝山 雲居寺」といい、禅宗(曹洞宗)のお寺です。
門をくぐると、市の指定木にもなっている大きな蘇鉄(ソテツ)の大木が出迎えてくれます。
開創は1429年。桶狭間の戦いで活躍した服部小平太の菩提寺でもあります。
雲居寺さんを出て、目の前の道を東に400mグングン進みます。名鉄の高架がありますので、その手前の交差点を左折して140m。そこにあるのが弘法寺さんです。
弘法寺
尾張高野山宗のお寺でご本尊は開山妙紫尼、岩屋寺奥の院参籠のおり感得現示された衆生済度の身代大師様(弘法大師)
また、聖天堂には、奈良県生駒山宝山寺より生駒山以東初めての、生駒聖天尊御分霊として、双身歓喜天尊をお祀りしております。
弘法寺さんを出たら、来た道を戻り、津島駅方面にに向かいます。津島駅左手に見ながらグングン進み、弘法寺さんを出て1km。左手に見えるのが龍渕寺さんです。
龍渕寺
正式には「大珠山 龍渕寺」といい、禅宗(曹洞宗)のお寺です。
賎ヶ岳七本槍衆の一人で、関ヶ原合戦後徳川三代に仕えた平野長泰公が開かれたお寺です。
龍渕寺さんを出て、来た道を少し戻り、朝日町の山車蔵横の道を西に向かって100m進みます。丁字路を左折し、50mほど進むと、右手にあるのが吉祥寺さんです。(ちょっとわかりづらいかもしれません)
吉祥寺
正式には「青龍山 吉祥寺」といい、真言宗のお寺です。
慶長13年(1600年)の創建。
本尊は恐いお顔でお馴染みのお不動様。また、津島で2つしかない「三十三観音像」のあるお寺として知られていますよ^^
吉祥寺さんを出て、北に170m進みます。大きな道の交差点を渡り、右手に興禅寺さんの山門が見えてきます。
興禅寺
曹洞宗の寺院。「海東古禅林」と称され、応永3年(1396年)七堂迦藍の霊場として創建。天正7年(1579年)の地震と火災によって現在の地へ移寺。
本尊は「薬師如来」諸根具足、除病安楽のご利益あり。他に「牛頭天王」を所蔵。中世の神仏習合思想によって薬師如来の化身とされ、同様に病気を治してくれるとして信仰される。(年1回5月3日にご開帳)
市文化財「雲版」所蔵。史跡として堀田木吾の墓がある。
興禅寺さんを出て、北に170m進むと、観音寺さんです。
観音寺
話題の御朱印で有名なお寺ですが、みどころはそれ以外にもたくさんあります。正式には元津島神社神宮寺牛玉山観音寺といいます。
「元津島神社神宮寺」とありますが、もともとは津島神社をお守りする4つのお寺のうちの一つだったそうです。
真言宗智山派のお寺でご本尊として不動明王が祀られています。
観音寺さんを出て、北に少し進むと、天王通りに出ます。天王通りを西に進み、天王通5の交差点を左折し、100m進むと左手に見えるのが蓮台寺さんです。
蓮台寺
正式には「九品山 蓮台寺」といい、浄土宗のお寺です。
山号の「九品(くぼん)」とは、阿弥陀様の極楽浄土には私たちが生前に積んだ功徳の違いに応じて9つの階位があることを意味しているそうです。
お寺の始まりは今から750年ほど前(1262年)、一向上人の15番目、最後の直弟子 弥阿上人。
この弥阿上人の像と一向上人像の二体は県指定の文化財となっており、蓮台寺の本堂に奉安されています。
蓮台寺さんを出て、南へと歩みを進めます。今市場2の交差点を右折し、西へ150m進むと複雑な三叉路がありますので、そこを左折し、150m進むと、右手に瑞泉寺あるのが瑞泉寺さんです。幼稚園もやられています。
瑞泉寺
沿革 鏡池山 瑞泉寺
浄土宗西山禅林寺派 創建は永正4年(1507年)移建
当寺は、後醍醐天皇のひ孫良王(りょうおう)親王様菩提寺。
浪合記、良王君伝、信濃宮伝に記されています。
※写真は南側の山門です。
瑞泉寺さんを出て、来た道を戻り、複雑な三叉路に戻ります。三叉路にあるお茶屋さんのあけぼのさんと大橋眼科さんの間にある細い道を入っていくと、妙延寺さんに到着です。
ナビゲーションなどを使用すると、入り口のない反対側を案内されたりしますので、ご注意ください。(宝泉寺さんの駐車場当たりに案内されちゃいます)
妙延寺
日蓮宗の寺。山号は津島山。本尊は法華経題目宝塔。戦国武将が学んだ愛知県で最も古い寺小屋とされる。清正公盗賊退治の故事より「盗難除守り」が古くから伝わる。元は真言宗で津嶋山高乗坊と称した。寛正5年(1464)日蓮宗に改宗し、妙延寺と改めた。加藤清正公が上河原の叔父の家に寄寓していた幼少時代に、妙延寺で、時の住職日順に読み書き手習いを習ったといい、境内には清正が草紙を掛けたと伝わる「清正公草紙掛松」の幹の一部が残る。
妙延寺さんを出て、先ほどのお茶屋さんがあるほうに向かいます。
途中、渡邊家住宅がありますが、それを越えて坂口神社の角を右折してください。細い道を直進して、50mほど進んだ先を右折。100mほど進むと、宝泉寺さんです。
宝泉寺
浄土宗西山禅林寺派のお寺で飛龍山帰命院宝泉寺が正式名称となります。
ご本尊は阿弥陀如来様で、以前は善光寺の御分身を祀られておられましたが、現在は松坂屋の伊藤様からいただいた阿弥陀如来像を本堂の正面に祀られております
宝泉寺さんを出て、天王通りに出たら、右折。少し進むと通り沿いに常楽寺さんが左手に見えます。
常楽寺
正式には「補陀山 常楽寺」といい、禅宗(曹洞宗)のお寺です。
1392年創建の古刹で、もともとは津島神社の宮司を勤められていた氷室家の菩提寺だった常楽寺さん。明治以前までは神社の神職の人も仏式でお葬式をあげたりお墓まいりをするのが普通だったそうです。
常楽寺さんを出て、西に向かって最初の交差点を右手に曲がって、30mほど進むと見えてくるのが西方寺さんです。
西方寺
西方寺は岳翁山生院と号し、16世紀初頭室町時代に創建される。本尊は阿弥陀如来(坐像・514㎝・藤原時代)である。
尾張藩主と関係が深く、使節は度々当寺を宿坊とした。この寺は当初橋詰町にあり、火難を避けて1700年代に奴野城址とされる現今の地に移転した。現在、十王尊は改築された本堂内に奉安されている
西方寺さんを出て、再び天王通に戻り、さらに西へ進みます。しばらくすすむと、津島神社の赤い鳥居が通りの先に見えてきます。あと少し。ラストスパートです。
いかがでしたか?
これで、津島駅から西にある津島霊場会寺院は完全網羅です。
しかしまだまだ津島霊場会には4カ寺。
徒歩移動は非常に厳しいので、またあらためてご紹介できればと思います。