尾張津島「信長めし」 信長めしとは

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 この尾張津島は、織田信長が深く信仰した津島神社や、500年以上の歴史をもつ尾張津島天王祭などの観光資源に恵まれていますが、郷土料理やグルメが少ないのが現状です。
そこで数年前から、津島商工会議所を中心として地域の飲食店と協働で「信長めし開発プロジェクト」が発足しました。地域の歴史や食文化を生かし、この地にゆかりのある織田信長にちなんだ料理を、試行錯誤を重ねついに完成した「信長めし」です。

「信長めし」の定義
1.歴史書の中から抽出した食材を、3品程度使用する
2.食材は出来る限り、地産のものを使用する
3.信長に関係したネーミングを使用する



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 戦国時代の津島は「尾張の金銀はすべて津島を経由する」と言われ、尾張最大の商業都市でした。勝幡城を拠点とする織田弾正忠家は津島の経済力を背景に勢力を伸張し、信秀の頃から主家をしのぐようになりました。そして、織田信長は尾張国を統一し、全国制覇をめざしました。

津島天王祭の古記録『大祭筏場車記録』の弘治4年(1558)の条には、「かずさ殿、橋の上に御座候て、御見物なされ候、女房達橋坊主のうらに桟敷を打ち、それに御座候…」と記されています。それから24年後、信長は本能寺の変で死去します。
 その年の天正10年(1582)、津島天王祭は飾り物を廃し、素車の車楽船を出しました。大山車も取りやめ、津島の庇護者でもあった信長・信忠親子に弔意を表しました。